パーシングⅡの功績

 冷戦の末期にソビエト体制が行き詰まった時、

ソビエトは求心力の回復の為に、NATO正面への

軍拡を進めた。

 NATOはこれに対抗して、アメリカにミサイル配備を要請した。

パーシング II ミサイルは、ほぼ380基が製造され、これらは1984年1月から西ドイツで最初に配備された。1985年後半までに合計108の発射機のヨーロッパへの配備が完了した。」

ja.wikipedia.org

より)

れれで冷戦の勝負は決した。

パーシング・システムは、1988年5月27日中距離核戦力全廃条約(INF条約)にアメリカが批准した後に廃棄された[12]。」(wikipedia同上)

NATOは死なば諸共のガチンコ勝負に出たのだ。(モスクワまで30分だそうだ。)

抑止力とはこういうものだ。

以上