孟晚舟氏に同情する-権力と個人-

やっと自由になれたと思いきや

新しい監獄が待っている

偶然に権勢の家に生まれて

ほかの世界を知ることができた

周りの人たちは自由の世界を知らない

私はその世界の空気を吸ってしまった

あそこに戻れば、

いつも何かが違っているという

感覚からは逃げられないだろう

どんな立場にいようとも

人間の感覚は正直なものだ

生きるためにはそれを押し殺さなければならない

これは物理的な監獄より苦しいかもしれない

カフェラテもティファニーもさようなら

権力(共同幻想)と個人(個人幻想)が逆立する

典型的な例である(下2行は吉本隆明より)

 

 

うんこテロ

うんこテロはいつ始まったのかは分からない。

話題になったときは既にどこにでも起こりうることになっていた。

 

最初の記事は

住宅街でいつも夜になると不法駐車している車について

その車のドアノブにうんこが塗りつけられたことである。

オーナーは自分が悪いことをしたとしても、

やりすぎだと警察に訴え、警察は器物損壊として受け付けたものの

いまだ未解決である。その後、その車は全体にウンコが

塗り付けられ、車は廃車となった。

この記事がネットに出ると、模倣犯が全国に広まり、

ほとんどが未解決なので、不法駐車は全国的に減ったとのことである。

また、起訴の近くまで行った案件もあったが、無罪となった。

DNA鑑定をした結果、多数のDNAが入り混じっており、かつ容疑者の

DNAがないので証拠としては確定できなかったとのことである。

どうやら、人間、犬、猫、家畜などの多数の糞尿をブレンドした

うんちチューブが流通しているらしいということまでは判明したが、

正犯、従犯、幇助、教唆をたどることはできなかったようだ。

包丁のようなもので、包丁よりもさらに特定しにくいようだ。

個人の反乱が始まった。気に入らない隣人の家に向けてウンチ瓶を

投げつける。おかげで、監視カメラメーカーは受けに入った。

一家に最低4台、すなわち家の四隅と死角を記録するためである。

また、記録装置もセットなので、これから就職するのは監視カメラ

メーカーだと後輩には言っている。

さらに大手企業など、テロの標識となるようなところには日常的に

ウンチ瓶が投げつけられるようになった。警察も機動隊も例外ではない。

新しい標識ができた。ウンチテロが世界中に蔓延した結果、そこに行って、

くさくない国がよい国であるという指標ができた。

現在、よい国の上位は砂漠の国である。理由は対象が少なく広いから、

においが希釈されるとの理由であるそうだ。

テロリストの告白(2)

すぐわかる

おんなたちはおとこがわからない

知っているのは自己保存だけ、

男は生殖の残滓を愛と思い、

引きずっているだけ、

女は家と子供ができれれば、

男の早い死を願う

男は自らを死に向かい

自らを殺すしかない。

なぜ男は女より短命なのか。

でも、恨んではならない。

自然は種を保つために

すべて配慮した。

他の生き物を見てもほとんどそうなっている。

女は女、その生きることの自然性を尊重することが

男の死の意味である。

世情に流布するフェミズミムなどクソくらえ。