絶望と希望

普通は「希望と絶望」と書くだろう。

何故逆なのか。

絶望すべきものが見えないように隠されているから、絶望を先にした。

マスメディアはネアカの元気印ばかりを紹介する。

そりゃあ、暗いものは売れないものね。

しかし、社会には「絶望するべきもの」が沢山ある。

それをわざと見えないようにしている力がある。

さらに、しかし、「絶望するべきもの」に絶望しないと、

実は、「希望」は本物でない、薄っぺらなものにしかならない。

子供向けのアニメの通りに、子供が育つなら、いじめもないだろう。

現実は、そうはなっていない。

子供は、親と社会の影である。

表ばかりを見せようとしても、子供の目は影も見てしまう。

それをないことにする態度が子供の心に裏と表の心的態度を作ってしまう。

また、子供たちもそれを「自然なこと」としてしまう。

絶望をばねにした希望は本物だ。

まずは、自分自身に絶望して欲しい。

 

以上